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 北に白山の山々を背負い流れる長良川の源流にあたるこの地域は、古来より東西南北の文化が混ざり合う場所として、人とモノの交流盛んな場所でありました。特に白山山系の山々に神々が宿るという山岳信仰が発達し、その霊峰を神仏の示現としてとらえ位置づけた神仏習合の信仰が広がったことにより、白山の南面にあるこの長滝の地が、東海に広がる白山信仰の拠点(白山美濃馬場長瀧)として整備され、その参詣の道は美濃禅定道として「上り千人、下り千人」と呼ばれるほどの繁栄を極めました。
 鎌倉時代の最盛期には「六谷六院満山衆徒三百六十坊」と称され、旧高山市を含む飛騨の国の西半分、一万三千石の神領域を有する一大宗教都市がこの長滝に生まれ、中国の宋板一切経をはじめ国内外から贈られた様々な文物がその歴史を今に残しています。
 養老元年(707年)に泰澄が開いたという白山開山から1300年の時を超えて、万物の生命を再生するという「よみがえり」の信仰が今日も生きている神社です。

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