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長滝の年中行事と祭礼

六日祭り(花奪い祭り)・長滝の延年舞

正月の六日に行われる例大祭であることから六日祭りと呼ばれている。
この祭りはもともと、正月元日から行われていた修正会(しゅじょうえ)という法会が終了するその最後の日(結願という)の六日に高僧や神官及び山伏達の修行をねぎらうため、若輩僧や稚児が延年と呼ばれる祝宴を催したのが始まりとされる祭事である。
延年のルーツは平安時代にさかのぼり、都では東大寺や興福寺、法隆寺などで行われていた記録があり、貴族社会においては「延年長寿」や「除禍」を祈る神事芸能であったものが、十一世紀院政期に入ると各地の大社寺の法会の後に余興として催されるようになったが、延年とよばれた遊宴歌舞は、単なる酒宴の余興ではなく、法会に際して一山全体を寿ぎ、勧請の守護神を讃え天地長久・千秋万歳を祈る神迎え神楽の一面も備えていた。
 地方では、周防の仁平寺、筑前の宗像神社、豊前の英彦山、安芸の厳島神社、甲斐の久遠寺、相模の箱根三社権現、下野の日光輪王寺、陸中の毛越寺、中尊寺、羽前の荒沢寺と美濃の長滝寺でその記録が残っているが、現在は長滝のほかには毛越寺などわずか数社に残されるのみである。

 長滝の延年の記録として、文禄四年(1595)経聞坊慶倫『白山長滝寺修正延年之次第』や慶 安元年(1648)経聞坊慶祐『修正延年並祭礼次第』があり、演目が記されている。長滝の延年 は、これら記録にあるようにかつては修正会 (  しゅしょうえ ) 修正延年といい、白山長滝寺の修正会の中で行われた延年であった。修正会は毎年正月初めに旧年の悪を正し、新年の天下泰平などを祈る法会で、期 間は通例大晦日から正月六日までの 七 日間である。
 本来の修正会という法会の余興から延年そ のものを主体とした行事になり、「六日祭」という例祭の形で継続・伝承されている。 近世の六日祭については元禄三年(1692)長滝寺文書『荘厳講執事帳』などに見ることがで きる。長滝の延年は、大晦日から 7 日間、新年の安泰と豊作を祈る修正会で、最終日の一 月六 日に、若い僧たちが芸能で神主や僧侶をねぎらったものものであった。江戸時代までは僧侶や 神官だけで行われてきたが、明治以降「長滝の延年」は長滝白山神社の氏子である長滝地区で 伝承されており、長滝の延年にみられる芸能は、昭和 52 年、重要無形民俗文化財に指定され ている。

​ 「美濃郡上郡白山中宮神主執行由緒並年中行事」には次のようにある。
正月元日 於神殿神主祝詞、初祈願並一山之規式
同 二日 同断 五人之老僧山伏御祈祷神主禰宜
同 三日 同断 神楽初メ
同 四日 同断 二日ニ同

同 六日 延年祭礼一山出勤御祈祷・・・

 現在、六日祭の準備は、 12 月 25 日に阿名院にて役割分担 の相談が行われ、27 日はすす掃き、28 日は回り総 代が阿名院に集まり、神主のお祓いを受けてから餅 つきを行う。大晦日は回り総代や大総代が長滝白山 神社本殿の儀式に参加する。1 月 2 日から延年の稽 古が拝殿で行われ、阿名院では桜、菊、牡丹、椿、 芥子の花笠を二日間で作り、当弁竿などの小道具の補修も行われる。
 5 日は試楽 ( しんがく ) として 6 日と 同じ進行で総練習が行われ、6 日早朝は、拝殿の舞 台中央に菓子を盛り、花笠を阿名院から運び、拝殿 の天井に吊るす。
  6 日の午後 1 時に社務所の板木が鳴り、神主、県 神社庁の献幣使などが社務所を出て拝殿に向かい、 拝殿で神事が始まる。一連の神事が終わると、長滝 の延年が始まる。

 最初の演目「酌取り」は、修正会の宴会の形を伝 えるものといわれており、2 人ずつの上酌と下酌が 演じる。「箒の清め」「膳直し」、酒を注ぐ作法を演 じる「見せ酌」、上段の舞台に設置した菓子台で行 う「菓子台の盃」、参拝者に菓子をまく「菓子台ま くり」を行う。
「当弁(とうべん)」は烏帽子をかぶり、狩衣をま とった梅と竹の二人が、それぞれ当弁竿を持ち、拍 子に併せて舞う。この時、太鼓 1 名、笛 4 名の演奏 がある。

「露払い」では、陣羽織を着て猩々の面を付け、 太刀を差した露払いが、右手に扇を持ち、笛に合せ て踏み足をする。

「乱拍子」では、金の烏帽子に緑色の狩衣、紫の 袴に右手に赤房垂らした扇を持ち、左手には 2 本の 白菊の造花を持った稚児 2 人が、笛と太鼓の拍子に 合せて足で拍子を踏む。

花奪いが始まっても舞台では延年が続けられ、
「しろすり」という、白鉢巻きに茜染の襦袢を着て、黒地の両たすき掛けをし、作 り物の大型の木鍬をかつぎ、木製の鎌を腰に差した者が演じる。田を打つ所作があるため「田 打ち」とも呼ばれる。

「田歌・花笠ねり歌・とうべんねり歌」ではふし 役が歌い、梅と竹の当弁が 2 人が舞う。
​ この頃、土 間では天井から吊るされた花笠を奪いおうと、若衆がやぐらを組み始め、三段目に上った者が一つの花笠に飛びつき、花笠をちぎり落とす。

桜・菊・牡丹・椿・芥子の順に飾られた花笠を一つづつやぐらを組んで落としていく。
落ちてきた花笠を今度は、拝殿につめかけた人々の奪い合いが始まる。
古来この花を持ち帰ると、蚕が良く育つと言われ、以来、長滝花は家内安全 や豊作を願う縁起物として持ち帰り、家の神棚等に飾られるようになった。

 「大衆舞」では、舞人が足で拍子を踏みながらテンポよく舞い、「長滝の延年」は終了する。

でででん祭り 

​ 長滝白山神社の例祭は、5 月に行われる五月祭がある。慶安元年(1648)修正「延年並祭礼 次第」(「若宮家文書」)によると 5 月 5 日は正月 6 日と同じく延年の舞が催され、加えて狩馬・ 御輿御幸行われていたという。
 白山三社のご神体を奉じた 3 台の御輿を氏子が担いで、太鼓をデデデン・デデデンと打ち鳴 らして御幸されるため、通称でででん祭と呼ばれている。  
​ 5 月 4 日に 、本殿中央に奉納されている三台の御輿を拝殿に奉じ、総代が太鼓を打ち鳴らし、菖蒲・よもぎ・山吹が御輿 に飾られ、ちまきが供えられる。

 5 日に神事が始まり、蒲安の舞が舞われる。太鼓 が打ち鳴らされると御輿の御幸が始まる。
かつては、 約 800 m先の二日町駅付近まで神輿渡御が行われていたが、現在は鳥居の外が御旅所となる。         御輿は、東・中・西の順で拝殿を下り御旅所に向かう。
境内の石段を下り、太鼓橋の手前から駆け足で太鼓橋を駆け下る。 
御旅所では、祝詞奏上があり、氏子・御輿舁きが御神酒を受ける。神輿は参道を登り、太鼓橋・銀杏坂を経て境内に登 る。
拝殿を右回りに 3 回ほど廻って、拝 殿の左側からそれぞれの社殿に還御される。

長滝の六日祭り及び、でででん祭りの様子は、
gujo.comのサイトで見ることができます。


 

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